決断 determination 2004 4 9
昨年の5月に、
あまりにも、アマチュア政治家が増えたので、
そのことが心配になり、
潜水艦の艦長を例にして、
政治家とか、どういうものかを説明しました。
決断ができなければ、政治家ではありません。
人命を尊重する決断をしても、
イラク派兵を維持する決断をしても、
どちらも正しい。
しかし、政治家には、二世議員が増えましたね。
このような「坊っちゃん政治家」では、
こういう決断は、つらいかもしれない。
何も、苦労しないで、大人になってしまいましたからね。
理性とは rational nature 2003 5 24
人間が生きるうえで、身につけるべきものがあります。
それは、感性、理性、知性というものです。
しかし、この3つをバランスよく、身につけるのは、難しいのです。
たとえば、理性というものをとってみると、
一般的に、女性は、感性は強いが、理性というものが弱いものです。
それは、なぜかと言えば、こういうことです。
今は昔、戦争が多かった時代に、こんなことがありました。
ある潜水艦は、深海の戦闘にて、運悪く、敵の潜水艦と接触して、
潜水艦の前部である頭部が損傷しました。
このまま、何もしなければ、潜水艦は沈んでしまいます。
そうなれば、200名の乗員は、すべて海の底に沈みます。
大至急、潜水艦の頭部を閉鎖すべき状況になったのです。
しかし、その頭部には、まだ、乗員が数名残っていました。
ただ、一刻の猶予もありませんでした。
艦長は、直ちに、頭部の区画の閉鎖を命じました。
結局、数名の犠牲者と、
200名に近い、乗員の救命という結果となりました。
乗員は、すべて軍人でしたから、艦長の決断には異を唱えませんでした。
もちろん、艦長は、陸に上がって、遺族からは、殺人者扱いをされました。
しかし、艦長の決断は正しかったのです。
善か悪かと言えば、善だったのです。
あのまま、艦長が迷っていれば、200名全員が海の底に沈んだのです。
これが、理性のひとつなのです。厳しいでしょう。
しかし、これがないと、指導者というものは務まらないのです。
理性とは、善悪を峻別する力です。
しかし、時代によっては、
場所によっては、
何が善で、何が悪か、
その判断が困難な時があります。
しかし、決断しなければならないのです。
それは、「きれいな決断」とは限らない。
「悲しい決断」もあります。
まるで、自らの足を、自らの剣で切断するかのような厳しい決断もあります。
子供を生み、育てるという本能がある女性には、
結果的には、人を殺すことになる決断は、受け入れないでしょう。
しかし、時には、指導者には、このような決断の機会が迫ってくるのです。
艦長の決断を例に出しましたが、これは政治家のことを言っているのです。
政治家は、どのような決断をしても、必ず、国民に恨まれます。
場合によっては、そういう人たちによって、テロで殺されることもあります。
しかし、それは、政治家の宿命なのです。
そのようなことに怯む政治家は、直ちに職を辞すべきです。
このような政治家の存在は、国民にとっては、不幸な存在です。
しかし、理性ばかり強くては、「冷たい社会」となってしまいます。
感性を大切にしながら、理性を発揮していく。
それには、知性というものが大事です。
知性が、この舵取りをするのです。
知性というものを磨く必要があるのです。
政治家というものは、感性、理性、知性というものが、すべて必要です。
しかし、若くして政治家になった場合、この3つをすべて身につけていません。
人生経験が深ければ、この3つを経験で補えます。
しかし、人生は短い。
しかも、人間というものは、活躍できる期間は、さらに短い。
のんびりと人生経験をしているうちに、時は過ぎていく。
それゆえ、「政治家の学校」というものが必要です。
今後は、政治学校というものを整備していく必要があります。
その政治学校の卒業資格をもって、立候補の条件とすべきです。